大義のために 2015 8 23

2015年8月2日の時事通信社には、このような記事がありました。

 日本との戦争の最終局面の1945年6月、
当時の中国を統治した中華民国・国民政府が作成した、
日本人戦犯リストのトップに「日皇裕仁」(昭和天皇)が掲げられたが、
終戦直後の9月のリストからは消えていたことがわかった。
 蒋介石主席の意向で決まったもので、
連合国・米国に追随する方針のほか、共産主義の拡大防止という背景があった。
(引用、以上)
 たとえ「共産主義の拡大防止」という大義があったにせよ、
蒋介石は悔しかったと思います。
 日本軍との戦いで、
蒋介石が率いる国民党軍が消耗していて、
これが、結果的に、
毛沢東が率いる共産党軍に勝利をもたらすことになったからです。
 戦後、昭和天皇は、蒋介石の行く末を案じていたとされ、
これが、当時の佐藤首相にも影響を与えたと言われています。
(2015年7月30日の時事通信社の記事)
 大義があれば、たとえ敵味方に分かれて戦っても、
多くの人から尊敬を受けるのが、歴史の常です。
 しかしながら、こうした大義があっても、
アメリカのホワイトハウスや国務省は、
共産主義者に乗っ取られていましたので、
蒋介石の大義は、誠に残念なことになってしまいました。
(以下の「ベノナ文書」を参照。
あるいは、ジョセフ・マッカーシー著「共産中国はアメリカがつくった」を参照)
 国際政治の激流によって、
蒋介石の大義は消えてしまいましたが、
たとえ、歴史が、その大義を評価しなくても、
神は、評価するでしょう。

「べノナ」文書(米軍諜報部が解読した旧ソ連情報部の秘密文書)
(以下は、ウィキペディアから引用)
 1995年、ベノナ(ソ連暗号解読プロジェクト)が機密扱いをはずされ、
ソ連の暗号通信の内容が明らかになった結果、
ソ連のスパイ行為は、マッカーシーの見積もりよりも、
さらに大規模なものだったことが判明している。
 ベノナは、特にソヴィエトのスパイに色々な方法で協力した、
合衆国の市民、移民、そして永住者を含む少なくとも349人の人々について言及している。
 マッカーシーは、ベノナ秘密情報への接触はなく、
彼の情報は他の情報源からだと信じられている(FBIのフーヴァー長官からだという)。
 ベノナは、マッカーシーにより調査された、
ある人物達が、事実、ソ連のスパイであることを明らかにしている。
 たとえば、メリー・ジェイン・キーニーは、
マッカーシーにより単に「共産主義者」とされているが、
実際には、彼女も、その夫もソ連のスパイだった。
 マッカーシーにより名指しを受けたロークリン・カーリーは、
ルーズヴェルト大統領の特別顧問だったが、
ベノナによりソ連のスパイであることが確かめられた。
(引用、以上)
 マッカーシー(1908〜1957)は共和党の上院議員で、
1950年に国務省に潜む共産党員の名簿を入手したと発言し、
一躍、世界の注目を浴び、
彼の反共産主義運動は「マッカーシズム」と呼ばれました。
(参考文献 ジョセフ・マッカーシー著「共産中国はアメリカがつくった」)


































































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